毎日をたのしく♪

ありがとうの言葉で・・・

1月30日に母が亡くなりました。
2月2日の葬儀も無事に終えました。

励ましのお電話やメールを頂いた方、ありがとうございました。
この場をかりてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

母には「私を産んでくれて、育ててくれてありがとう。」の気持ちしか出てきませんでした。
そして、「必ず父に迎えに来てもらって」と
たぶん今頃両親は手を取り合って、ずーと上のほうに行っていると思います。
私達を微笑みながら見守ってくれている気がします。









19年前、初めて脳出血で病院に運ばれ一時は心配しましたが幸い軽く、1ヶ月の入院ですみました。
リハビリでもとの変わりのない姿で退院もできました。
それからは、私の子供の面倒をみたり、旅行へ行ったり、趣味の習い事をして元気に暮らしていましたが、また何年かして脳出血で倒れました。
もう血管が細く、それから何度目かの倒れた時には手術が必要になりました。
手術をするとこれからが大変です。
もう、もとの母は二度と見れません。
手術直後は、1ヶ月はずーと目も開けず寝たっきりで不安が募るばかり。
少し意識がもどっても、自分の名前も子供もなにも解らず、もちろん字も何も書けない状態。
時がたち、リハビリの成果もあって序々に自分や私達のことも思い出しましたが、足がまったく動かず、歩くことが困難になりました。
本人が一番悲しい思いをしたのでしょうが、このような母の姿を見てショックで私は影で泣くばかりでした。
何でも出来た母でした。
料理もとても上手で美味しくて、字を書くのが好きでいつも墨を使って物を書いていました。
俳句やお花、お茶、着物が好きで普段でもサッサッと着ていました。
50歳からスイミングにも行っていて、孫たちと競争するくらいでした。
もう、何も出来なくなった母がかわいそうで・・・

何ヶ月、何年も過ぎその間、人には言えないくらいの葛藤がありました。
言葉もでにくく、ゆっくりですが考えながら少しずつ言えるようになりました。
何とか家に帰ってヘルパーさんの助けをかりながらまた、杖や押し車で歩くことも出来るようになったと言っても1,2センチの段差も乗り越えれないけれど、頑張ってくれました。
その反面、自分のもどかしさにイライラするのか、わがままも出てきました。
私達姉妹も、「病気が言わせてるんだ」と常に思いながらも、つい、きつい言葉を言ってしまいます。
もう、食事の用意をしたり、一人でお風呂に入ることはできません。
週3回ディサービスを利用させて頂いてお世話になり、後はヘルパーさんに来ていただいたり,金曜日の夜からは私の家に連れて帰り、月曜の朝にデイサービスに連れて行くパターンでした。
また何年か過ぎ母も年をとり、病気を引きずりながら身体も弱くなっていきます。
昼間は人がいても夜は一人です。
時には、家のことを終わらしてから、実家に車を走らせます。
母が寝るまで付き合って、夜遅くに帰ります。
主人の理解が私の助けになったことはとても大きく感謝しています。
家で暮らしていくにも序々に困難になってきています。
申し訳ない気持ちが心の中がいっぱいで、はちきれそうになったけれど、老人介護施設に預けることに決めました。
必ず出来るだけ時間の許す限り行くから・・・やはり面会に行く度に「連れて帰って」と・・・
なんとかなだめると、暴言を吐きます。
黙ってただ聞いているだけ・・・気が治まったら部屋に連れていきます。
私が帰るときはいつも泣いています。
連れて帰りたくても、私一人ではどうにも出来ません。
私も車に乗ったと同時に涙があふれてきます。
思いっきりボリュームを大きくして、後ろ髪を引かれながら帰ります。

罪悪感がいつも残り、私も一時、過呼吸になったり、身体の振るえがとまらなかったり、誰とも会いたくなく不安定な状態で安定剤を飲んでいました。
ストレスからくるものだと診断され、また面会が行けないことに悩み苦しみましたが、まだ小さかった子供達が暗い顔をしている姿をみて、気持ちを奮い立たせた思いもありました。

私は、三人姉妹の末っ子で結婚も遅く、母に甘えて過ごしていましたから姉たちよりも思いが深かったように感じます。
「自分たちの生活もあるのだから出来る時に出来ることをすればいい」と言う姉たちに対して、「もっと、もっとしてあげないと」と気持ちに無理があったのでしょう。
結局は迷惑をかけてしまいました。

施設も何度も変わらなければいけないし、やっと空きましたよと連絡をくれた施設にも、入ったばかりなのにまた入院と気の休まる時がないほどでした。

年齢と共に筋力が退化し、食事もうまく出来ない状態になり、誤飲が多くなりました。
食道にうまくいかず、他に流れてしまうので、息が出来なくなるのです。
遺漏をすることに決めてからは、本人の栄養は確保されましたが、口から物を入れないと言うことと同時に、言葉も序々に話さなくなりました。

そういう時間を過ごしながら、私の家から30分のところにある大きな病院に入れてもらえたのですが、何かあるときにすぐいけるようにと、5分でいける古い小さな病院に変えてもらいました。
病院の小さいは関係なく、患者に接する心遣いがとてもありがたく感じました。
今までもそうでしたが、必ず週2回は洗濯物を取に行き、近くになったことで今まで以上に顔を見に行くことが出来ました。
おかげ様で、床ずれもなく散髪も爪切りも、身体も清潔にしていただいて、一番良くしていただいた病院です。
最後まで入院できたことがとても嬉しかったです。

母は、子供家族、孫家族みんなが集まり一人一人が声をかけれたことをきっと喜んでくれていると思います。
遅くまで病院にいたのですが、いよいよ来るべき日が近づいていることがわかり、話など煮詰めないといけないので、私の家で決めていたところ、病院から電話がありました。
すぐに駆けつけ、今、まさに今の状態でした。
まだ、あったかくて、やわらかくて微笑んで寝ているようです。
苦しまずに眠るような穏やかな姿が嬉しかった。
私は、頬や手を長い間さすっていました。



「お母さん、長い間おつかれさま。よく頑張ったね。」



いまも、ふと病院に行かないと・・・と立ち上がったりしますが、長年の癖ですね。
まだ、落ちつかないときがあり、むやみに歩き回る時があります。


悲しくない訳はありません。
初七日も済ませ、日常の変わりのない生活を送っている今、清々しい気持ちなんです。
不謹慎かもしれませんが、後悔することなく精一杯してきたことに心残りはないのです。
母によって色々勉強させてもらえたこと・・・私だけではなく子供達にも・・・

「お母さん、ありがとう」
by kimiko-611 | 2008-02-09 14:52 | その他