田中和人 作陶展
阪急うめだ本店の美術画廊で、毎年作陶展をしている田中和人さん。
兵庫県三田の木器というところに「木器窯」を構えていらっしゃいます。
「木器」と書いて「こうづき」と読みます。
陶芸家にとってはピッタリの地名ではないかと思います。
田中和人さんは、三重県伊勢市「神楽の窯」を築いた奥田康博先生に師事しました。
この器たちは私が嫁いでくる前、25年前からあったものです。
木箱に入って食器棚にありました。
今も、よく食卓に並ぶ器のひとつです。
この場所は義父が元気な頃、田中和人さんと出会って、何もなかった土地を使っていただいてた所です。
田舎で、まだまだ閉鎖的なこの場所で苦労しながら、一から家や窯を立ち上げられました。
義父は、今から活躍しそうな若手の人のお世話をするのが好きだったようです(笑)
20数年前になりますが、私達は三田で暮らすこともなく、いつまでもこの状態ではいれないので、話し合いの場を持ちました。
当時、伊丹市が教育施設を作るとかで、土地を欲しいと・・・
どういう繋がりなのかわかりませんが田中和人さんと伊丹市の助役さんが家に来て
話し合ったのを憶えてます。
田中和人さんも律儀な方で、義父の命日や家で何かがあることに、お墓に手を合わせてくれていました。
ご自分で焼いた花瓶にはお花がいつもそえられていました。
この間、偶然に画廊に通りかかった時、作陶展を開催していらしたので、ご挨拶に伺わせていただいて、久しくお会いしていなかったご無礼とお礼を伝えました。
是非、一度いらしてくださいと・・・
今年は是非行かせていただきたいと思います。
三田のFM局に田中和人さんの「木器窯」が載っていました。
兵庫県三田の木器というところに「木器窯」を構えていらっしゃいます。
「木器」と書いて「こうづき」と読みます。
陶芸家にとってはピッタリの地名ではないかと思います。
田中和人さんは、三重県伊勢市「神楽の窯」を築いた奥田康博先生に師事しました。
この器たちは私が嫁いでくる前、25年前からあったものです。
木箱に入って食器棚にありました。
今も、よく食卓に並ぶ器のひとつです。
この場所は義父が元気な頃、田中和人さんと出会って、何もなかった土地を使っていただいてた所です。
田舎で、まだまだ閉鎖的なこの場所で苦労しながら、一から家や窯を立ち上げられました。
義父は、今から活躍しそうな若手の人のお世話をするのが好きだったようです(笑)
20数年前になりますが、私達は三田で暮らすこともなく、いつまでもこの状態ではいれないので、話し合いの場を持ちました。
当時、伊丹市が教育施設を作るとかで、土地を欲しいと・・・
どういう繋がりなのかわかりませんが田中和人さんと伊丹市の助役さんが家に来て
話し合ったのを憶えてます。
田中和人さんも律儀な方で、義父の命日や家で何かがあることに、お墓に手を合わせてくれていました。
ご自分で焼いた花瓶にはお花がいつもそえられていました。
この間、偶然に画廊に通りかかった時、作陶展を開催していらしたので、ご挨拶に伺わせていただいて、久しくお会いしていなかったご無礼とお礼を伝えました。
是非、一度いらしてくださいと・・・
今年は是非行かせていただきたいと思います。
三田のFM局に田中和人さんの「木器窯」が載っていました。
by kimiko-611
| 2009-02-10 13:32
| 個展